2010年10月
30
10月
先日、久しぶりに焼き肉を食べに行きました!
友達のTちゃんが誘ってくれたので
張り切って食べに行きました!
久しぶりの焼き肉に味わいながらいただき、子どもたちも争うように箸がバトル!
どんだけ食べさせてないんだょ!
とツッコミをいれて
一旦、頼んだお肉や料理を食べて2回転目
追加のカルビを2枚注文した時のこと
事件が…
注文したばかりにもかかわらず呼び出しのボタンを押したTちゃんが
「カルビ一つ!」
みんなで「あれ?今さっき頼んだばかりだよ!」と言うと
苦し紛れに岩手弁で
「かっ!カルビス!」
店員さんが「カルピスでございますね。」
店員さんが行ったあと爆笑!
聞こえようでは
確かにカルビ一つがカルピスに聞こえるかもしれない!
のであった!
友達のTちゃんが誘ってくれたので
張り切って食べに行きました!
久しぶりの焼き肉に味わいながらいただき、子どもたちも争うように箸がバトル!
どんだけ食べさせてないんだょ!
とツッコミをいれて
一旦、頼んだお肉や料理を食べて2回転目
追加のカルビを2枚注文した時のこと
事件が…
注文したばかりにもかかわらず呼び出しのボタンを押したTちゃんが
「カルビ一つ!」
みんなで「あれ?今さっき頼んだばかりだよ!」と言うと
苦し紛れに岩手弁で
「かっ!カルビス!」
店員さんが「カルピスでございますね。」
店員さんが行ったあと爆笑!
聞こえようでは
確かにカルビ一つがカルピスに聞こえるかもしれない!
のであった!
29
10月
睡眠は不足していても食欲は過剰気味なノーブル佐々木です。
■「桜山神社参道地区の将来像について」説明討論会
・開催にあたってのあいさつ
お気づきだろうか?
これまでも何度か強調してきたが、市は勘定所を復元するなどとは言っていない。
土塁などについては、言ってしまってる部分もあるようだが、「2mの土塁を復元したら、閉鎖された空間を作ってしまう」と言ってるように、それらしきものを作る、どまりである。
メディアは面倒くさがってか故意か分からないが、テレビ・新聞・ラジオすべてが「復元」と言っている。
しかし、氏の説明で勘定所に限定すれば、一言も「復元」とは言っていない。
「整備」
と言っている。
整備と復元とは意味も意義も意気(?)も違う。
その言葉の前に「当時の城郭の規模を連想させるような」と付け加えているように、復元などではない。
よって、意義も学術的な意味合いではなく、良く言って観光客へ利便性の向上、悪く言えば〜…ええ…思い当たらない。orz〜ナサケナイ
まぁいい、出ないときもあるさ。
ただ、この間違った表現をのさばらせると、まるで桜山地区の住人たちが貴重な文化的建造物の復元を、私利私欲で妨害しているような印象を与えかねない。
手打ち風うどんは、いくら見た目が手打ちでも手製ではなく機械製なのだ
こちらの突っ込みは、勘定所(風建物)や土塁(みたいなの)にかぶる指定地域以外は、残すような言い方をしているところ。
私有地の部分だ。
オラホのお店はその地域に当たる。
どうだろう、そんなことがあるのだろうか。
たぶん、市の計画案通りに勘定所や土塁ができれば、商店街の少なくとも半分は無くなる。
そうなった時、残りの店が生き残っていけるだろうか。
しかも、懸念はほかにもある。
ここ10年で文化庁の考え方も変わってきている、と言うことを、30年後か50年後には「良い方に変わる」という可能性で語っている部分があるが、同じくらい「悪い方に変わる」可能性だってある。
その時「やっぱり立ち退いてくれる?」と言いださないとは限らない。
もひとつ厄介なのは、住民の気持ちが揺れ動いてしまうこともある。
オラホですら、
「あれ?オラホのとこは指定外ジャン。」
って一瞬思ってしまったじゃないか。
このことは皆に内緒にしなければならない。
■しかし
オラホは甘々のアマちゃんだから、彼ら市の職員を鬼のように思うことはできない。
できそうにない。
この商店街を支えてきてくれた人々でもあるからだ。
だから怒りではなく悲しみを強く感じる。
これはオラホよりも飲食店関係の方が強く感じているかもしれない。
いずれ、大なり小なり皆同様の思いを抱いているのだと思う。
もっとも、そんな気持ちを察してためらうようなら、それはそれで馴れ合いと批判されるだろう。
市の職員がどう思っているのか、興味深いところではあるが、それで何かが変わるわけでもない。
とどのつまりは、市に温情を求めるよりも、ここに第4種史跡区域以上の価値があると訴えていかなければならない。
そう巨人の星に誓うノーブル佐々木であった
■「桜山神社参道地区の将来像について」説明討論会
・開催にあたってのあいさつ
お気づきだろうか?
これまでも何度か強調してきたが、市は勘定所を復元するなどとは言っていない。
土塁などについては、言ってしまってる部分もあるようだが、「2mの土塁を復元したら、閉鎖された空間を作ってしまう」と言ってるように、それらしきものを作る、どまりである。
メディアは面倒くさがってか故意か分からないが、テレビ・新聞・ラジオすべてが「復元」と言っている。
しかし、氏の説明で勘定所に限定すれば、一言も「復元」とは言っていない。
「整備」
と言っている。
整備と復元とは意味も意義も意気(?)も違う。
その言葉の前に「当時の城郭の規模を連想させるような」と付け加えているように、復元などではない。
よって、意義も学術的な意味合いではなく、良く言って観光客へ利便性の向上、悪く言えば〜…ええ…思い当たらない。orz〜ナサケナイ
まぁいい、出ないときもあるさ。
ただ、この間違った表現をのさばらせると、まるで桜山地区の住人たちが貴重な文化的建造物の復元を、私利私欲で妨害しているような印象を与えかねない。
手打ち風うどんは、いくら見た目が手打ちでも手製ではなく機械製なのだ
こちらの突っ込みは、勘定所(風建物)や土塁(みたいなの)にかぶる指定地域以外は、残すような言い方をしているところ。
私有地の部分だ。
オラホのお店はその地域に当たる。
どうだろう、そんなことがあるのだろうか。
たぶん、市の計画案通りに勘定所や土塁ができれば、商店街の少なくとも半分は無くなる。
そうなった時、残りの店が生き残っていけるだろうか。
しかも、懸念はほかにもある。
ここ10年で文化庁の考え方も変わってきている、と言うことを、30年後か50年後には「良い方に変わる」という可能性で語っている部分があるが、同じくらい「悪い方に変わる」可能性だってある。
その時「やっぱり立ち退いてくれる?」と言いださないとは限らない。
もひとつ厄介なのは、住民の気持ちが揺れ動いてしまうこともある。
オラホですら、
「あれ?オラホのとこは指定外ジャン。」
って一瞬思ってしまったじゃないか。
このことは皆に内緒にしなければならない。
■しかし
オラホは甘々のアマちゃんだから、彼ら市の職員を鬼のように思うことはできない。
できそうにない。
この商店街を支えてきてくれた人々でもあるからだ。
だから怒りではなく悲しみを強く感じる。
これはオラホよりも飲食店関係の方が強く感じているかもしれない。
いずれ、大なり小なり皆同様の思いを抱いているのだと思う。
もっとも、そんな気持ちを察してためらうようなら、それはそれで馴れ合いと批判されるだろう。
市の職員がどう思っているのか、興味深いところではあるが、それで何かが変わるわけでもない。
とどのつまりは、市に温情を求めるよりも、ここに第4種史跡区域以上の価値があると訴えていかなければならない。
そう巨人の星に誓うノーブル佐々木であった
28
10月
唇の下がすぐアゴ、と言われるノーブル佐々木です。
さて、続きだ、続き。
急がなければ・・・。
■都市整備部公園みどり課の考えていること・・・続き
第2回目
報告
(主な意見)
1.保存管理計画策定に向けた作業のなかで,史跡周辺の都市計画との調整についても検討する必要がある。
2.明治時代の長岡安平による公園整備について,整備当時の様子が残っている範囲があるか検証する必要がある。
3.石川啄木の作品にゆかりのある植物について,確認をする必要がある。
4.史跡地内に存在する諸課題について,保存管理計画の中で整理していく必要がある。
協議
(主な意見)
1.盛岡城そのものが全国でも数少ない城郭と石垣石材の供給地がセットになっている例であり,人力で城を築いたという無形の遺産を感じることができる場であるということを主要な価値の一つとして加えるべきである。
2.盛岡城の歴史的な価値を構成するものとして,藩政のものだけではなく,近現代(明治時代以降)の歴史的な価値を有するものも加えていくように。
3.盛岡城跡の位置付けとして,市民のシンボルであり憩いの場であるということも加えるように。
4.盛岡城に関する伝承・民俗事例等についても調査を進めておく必要がある。
5.外曲輪(中堀),遠曲輪(外堀)とそれに付随する土塁が残存している箇所について,将来的に保存を図るなどの措置を取った方が良いのではないか。
6.城内については,藩政時代になんらかの施設が存在した場所であるので,建物を残す場合,景観上合致した意匠とするということを考えなくてはならないのではないか。
転載はここまで。
まず、報告の4「保存管理計画の中で整理していく必要がある」。
保存管理計画とは何なん?
盛岡市のHP内で検索かけると次の文書がでてきた。
盛岡城跡保存管理計画策定設置要領/日付:2010/04/12-21:27:27 →PDF
この盛岡城跡保存管理計画策定委員会、3回開かれたらしく、最後に開かれたのが今年の6月のことらしい。
国史跡盛岡城跡の保存管理計画の助言を求めるための委員会、とのことだが、残念ながら会議資料は見つけられなかった。
しかしただ助言を求めるための機関って実効能力があるのだろうか。
各方面からの意見を取り入れました、という単なる手続きに過ぎないんじゃないだろうか?
疑えばきりがない。
人間不信になっていくようだ。
その他にも色の変えてある部分に突っ込みを入れたいのだが、どんどんオラホの趣旨とは離れていくようなので、この際まとめてしまおう。
一言でいえば、
まともだ。
はっきり言えば、特に反対するような箇所はない。
逆にこの「史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会」の策定案のどこから、勘定所風建物や土塁のようなものを作る必然性が出てくるのか理解に苦しむ。
現存する商店街を一掃しようという主旨の提言すらもない。
もっともな事、あたりまえな事しか述べていない。
そうなると、今回の策定案は委員会が震源地と言うのは、オラホの勘違いで、この策定案は
都市整備部公園みどり課こそが震源地
と、言いきってよさそうだ。
では、彼らはどういう動機で今回の策定案を作ったのか。
ヒントになるかどうか分からないが、説明会で整備部部長は印象に残る言葉を言った。
「史跡は、みなさんだけのものじゃありません。国の宝なんです。護るべきものは物は護り、保存すべきものは保存する。」
氏はこれを「文化庁から言われたことですが」と前置きして発言した。
土塁を崩し、お堀をつぶす道路を通したお役人とは思えないお言葉だ。
いや、こんな言い方はすべきではない。
なぜなら、ここの住人には必要なことだったし、市の交通の利便性を高めるにも必要なことだったからだ。
だから、もしそれが国の宝を損ねた罪だと言うなら、望んだ者から実行した者まで全てが罪人だと言える。
なぜここに来て、手のひらを返したように「自分は潔白です!正義なんです!」みたいなことを言えるのだろうか。
もっとも
「文化庁に言われていやいややってます。」
とは言えないだろうなぁ。
ガキの使いじゃあるまいし。
にしても、この発言はどこからか圧力なり指示があったことを疑わせるものではあった。
果たしそれが、言葉通り文化庁なのか、それとは別のものなのかは、現時点では推測の域を出ない。
■10.19説明会
にぎにぎしく、しかも長ったらしく前説をやってしまった。
これから本題の説明会実況〜と行きたいところだが、そうはいかない。
m)゚O゚'(m ナンデスト
市の公式説明会があるのだ。
詳細はこれ。
<<<市のHPからコピペ>>>>
開催日時
2010年10月19日(火曜日)
○15時00分〜(昼の部)
○19時00分〜(夜の部)
※ご都合のよい時間帯にご出席ください。
開催場所
盛岡市役所本庁舎8階 806・807会議室
※夜の部につきましては北側出入り口をご利用ください。(市役所正面向かって左側となります。)
掲載ページ→ココ
資料→ココ
↑
Σ(゚◇゚;)!!ガーン
スキャンなんかしなくてもここに綺麗でサイズの小さい資料があった。
ん?
それが何って?
ワラワにどんな関係があるの?って?
来てくださいよぉ。
あ、ちゃうか。
ど〜ぞお越しくださいましぃ。
外部の方OKだそうですよ。
いや、何ね、地元の人間の言うことなんて、結局は立ち退きたくないだけなんでしょ、って思ってますでしょ?
それは確かにその通りなんですけど、オラホも含めた町内の皆、盛岡市民になんとか必要とされるような存在になろうと努力してきたんです、これでも。
それが自分たちが生き残る道だと信じてね。
じゃないと、ここがなくなっちゃうんです。
パイロンのジャジャ麺や昔ながらの吉田屋のラーメン、ぽっちゃりしたシルクロードのおかみさん、三平食堂のおかみさんのでかい声、身体を横にしないと通り抜けられない路地、愛想のない芳本の親父、白髪頭の丸安さん、皆いなくなっちゃう。
だから此処に少しでも愛着を感じている方、無くなってほしくない方、お金を貸してる方でも良いかこの際、の協力をいただきたいのです。
よろしくお願いします。
ちなみに、説明会の動画を準備中です。
あんまり長くて編集大変だけど、できるだけ急いであげたいと思います。
こちらもよろしく。
さて、続きだ、続き。
急がなければ・・・。
■都市整備部公園みどり課の考えていること・・・続き
第2回目
報告
(主な意見)
1.保存管理計画策定に向けた作業のなかで,史跡周辺の都市計画との調整についても検討する必要がある。
2.明治時代の長岡安平による公園整備について,整備当時の様子が残っている範囲があるか検証する必要がある。
3.石川啄木の作品にゆかりのある植物について,確認をする必要がある。
4.史跡地内に存在する諸課題について,保存管理計画の中で整理していく必要がある。
協議
(主な意見)
1.盛岡城そのものが全国でも数少ない城郭と石垣石材の供給地がセットになっている例であり,人力で城を築いたという無形の遺産を感じることができる場であるということを主要な価値の一つとして加えるべきである。
2.盛岡城の歴史的な価値を構成するものとして,藩政のものだけではなく,近現代(明治時代以降)の歴史的な価値を有するものも加えていくように。
3.盛岡城跡の位置付けとして,市民のシンボルであり憩いの場であるということも加えるように。
4.盛岡城に関する伝承・民俗事例等についても調査を進めておく必要がある。
5.外曲輪(中堀),遠曲輪(外堀)とそれに付随する土塁が残存している箇所について,将来的に保存を図るなどの措置を取った方が良いのではないか。
6.城内については,藩政時代になんらかの施設が存在した場所であるので,建物を残す場合,景観上合致した意匠とするということを考えなくてはならないのではないか。
転載はここまで。
まず、報告の4「保存管理計画の中で整理していく必要がある」。
保存管理計画とは何なん?
盛岡市のHP内で検索かけると次の文書がでてきた。
盛岡城跡保存管理計画策定設置要領/日付:2010/04/12-21:27:27 →PDF
この盛岡城跡保存管理計画策定委員会、3回開かれたらしく、最後に開かれたのが今年の6月のことらしい。
国史跡盛岡城跡の保存管理計画の助言を求めるための委員会、とのことだが、残念ながら会議資料は見つけられなかった。
しかしただ助言を求めるための機関って実効能力があるのだろうか。
各方面からの意見を取り入れました、という単なる手続きに過ぎないんじゃないだろうか?
疑えばきりがない。
人間不信になっていくようだ。
その他にも色の変えてある部分に突っ込みを入れたいのだが、どんどんオラホの趣旨とは離れていくようなので、この際まとめてしまおう。
一言でいえば、
まともだ。
はっきり言えば、特に反対するような箇所はない。
逆にこの「史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会」の策定案のどこから、勘定所風建物や土塁のようなものを作る必然性が出てくるのか理解に苦しむ。
現存する商店街を一掃しようという主旨の提言すらもない。
もっともな事、あたりまえな事しか述べていない。
そうなると、今回の策定案は委員会が震源地と言うのは、オラホの勘違いで、この策定案は
都市整備部公園みどり課こそが震源地
と、言いきってよさそうだ。
では、彼らはどういう動機で今回の策定案を作ったのか。
ヒントになるかどうか分からないが、説明会で整備部部長は印象に残る言葉を言った。
「史跡は、みなさんだけのものじゃありません。国の宝なんです。護るべきものは物は護り、保存すべきものは保存する。」
氏はこれを「文化庁から言われたことですが」と前置きして発言した。
土塁を崩し、お堀をつぶす道路を通したお役人とは思えないお言葉だ。
いや、こんな言い方はすべきではない。
なぜなら、ここの住人には必要なことだったし、市の交通の利便性を高めるにも必要なことだったからだ。
だから、もしそれが国の宝を損ねた罪だと言うなら、望んだ者から実行した者まで全てが罪人だと言える。
なぜここに来て、手のひらを返したように「自分は潔白です!正義なんです!」みたいなことを言えるのだろうか。
もっとも
「文化庁に言われていやいややってます。」
とは言えないだろうなぁ。
ガキの使いじゃあるまいし。
にしても、この発言はどこからか圧力なり指示があったことを疑わせるものではあった。
果たしそれが、言葉通り文化庁なのか、それとは別のものなのかは、現時点では推測の域を出ない。
■10.19説明会
にぎにぎしく、しかも長ったらしく前説をやってしまった。
これから本題の説明会実況〜と行きたいところだが、そうはいかない。
m)゚O゚'(m ナンデスト
市の公式説明会があるのだ。
詳細はこれ。
<<<市のHPからコピペ>>>>
開催日時
2010年10月19日(火曜日)
○15時00分〜(昼の部)
○19時00分〜(夜の部)
※ご都合のよい時間帯にご出席ください。
開催場所
盛岡市役所本庁舎8階 806・807会議室
※夜の部につきましては北側出入り口をご利用ください。(市役所正面向かって左側となります。)
掲載ページ→ココ
資料→ココ
↑
Σ(゚◇゚;)!!ガーン
スキャンなんかしなくてもここに綺麗でサイズの小さい資料があった。
ん?
それが何って?
ワラワにどんな関係があるの?って?
来てくださいよぉ。
あ、ちゃうか。
ど〜ぞお越しくださいましぃ。
外部の方OKだそうですよ。
いや、何ね、地元の人間の言うことなんて、結局は立ち退きたくないだけなんでしょ、って思ってますでしょ?
それは確かにその通りなんですけど、オラホも含めた町内の皆、盛岡市民になんとか必要とされるような存在になろうと努力してきたんです、これでも。
それが自分たちが生き残る道だと信じてね。
じゃないと、ここがなくなっちゃうんです。
パイロンのジャジャ麺や昔ながらの吉田屋のラーメン、ぽっちゃりしたシルクロードのおかみさん、三平食堂のおかみさんのでかい声、身体を横にしないと通り抜けられない路地、愛想のない芳本の親父、白髪頭の丸安さん、皆いなくなっちゃう。
だから此処に少しでも愛着を感じている方、無くなってほしくない方、お金を貸してる方でも良いかこの際、の協力をいただきたいのです。
よろしくお願いします。
ちなみに、説明会の動画を準備中です。
あんまり長くて編集大変だけど、できるだけ急いであげたいと思います。
こちらもよろしく。
28
10月
朝は断然、ごはん!日本人だもの!!
米に決まってるべ〜〜!
というようり、持久力がちがうので餅でも言いぐらいです。
前日もカミサンが「夕べのカレーじゃいやだよね!!朝から・・・」
「えっ!?全然いいよ!」といったら朝から気持ち悪っと言いながら出してくれました。(汗)
そう!実はカミサンはパン派なのです。
結婚15年になりますが、そんな訳で我が家はごはんとパンを両方準備するのです。
面倒な気もしますが、お互いに譲れないのです。
しかし、どちらかというと私のほうが飼いならされているかもしれません。
休みの日は、朝食はパンだったり、おやつで無性にパンが食べたくなったり
最近ではパン屋さんに車で毎週売りに来てもらってます。
おかげで体重は結婚して16kg太った次第です。
現在ダイエットで3kg減
ごはんもパンも大好きです。
27
10月
来た!「桜山神社参道の将来像ついて」2
霜降り肉を持つノーブル佐々木です。
無駄に長くなる文章を疎ましく思っている諸氏。
慣れなさい。 〜( ̄0 ̄)〜はぁ〜これだもん・・・
■都市整備部公園みどり課の考えていること
盛岡市のHPを見ると、この界隈についてどういう議論が交わされていたのか、かすかだがその経緯をたどることが出来る。
「史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会」と称す委員会がそれだ。
どうやらこのわずか2回、委員会で話し合われたことが今回の策定案の震源地のようだ。
策定委員が何処の馬の骨かは分らない。
分らないから「馬の骨」呼ばわりもしてしまう。(ごめんね)
聞いた話によると、この策定委員なるもの、市が自由に選ぶことが出来るらしい。
しかも、メンバー交代も自在という。
伝聞なので定かではないが、これが本当なら市の意向に沿った人選が自在に出来ることになる。
こんなことがまかり通っているのだろうか?
突っ込みどころ満載だろうが・・・。
とても賢いホワイトカラーがすることとは思えない。
で、それは横に置いておくとして、そこで何が話し合われたのか、というとおおよそ次のような事らしい。
ちなみに報告と協議とあるが、1回目について報告は割愛する。
たいしたこと載ってないし。
第1回目
協議
1.史跡盛岡城の中だけではなく,周辺の景観等についてのありかたも含めた形で計画作りをする必要がある。
2.史跡の活用については,「まちづくり」という観点も併せ持つ形で検討する必要がある。
3.観光という面だけを重視した内容で検討する事の無いようにしてもらいたい。
※番号は便宜的にオラホが付けた。
ここでは、3がキモということか。
というか、地元住民は考慮の対象外なんだね、ふ〜ん。
そういう匂いは感じていたが、そのままだった訳だ。
では2回目を見るとしよう。
第2回目
報告
(主な意見)
1.保存管理計画策定に向けた作業のなかで,史跡周辺の都市計画との調整についても検討する必要がある。
2.明治時代の長岡安平による公園整備について,整備当時の様子が残っている範囲があるか検証する必要がある。
3.石川啄木の作品にゆかりのある植物について,確認をする必要がある。
4.史跡地内に存在する諸課題について,保存管理計画の中で整理していく必要がある。
協議
(主な意見)
1.盛岡城そのものが全国でも数少ない城郭と石垣石材の供給地がセットになっている例であり,人力で城を築いたという無形の遺産を感じることができる場であるということを主要な価値の一つとして加えるべきである。
2.盛岡城の歴史的な価値を構成するものとして,藩政のものだけではなく,近現代(明治時代以降)の歴史的な価値を有するものも加えていくように。
3.盛岡城跡の位置付けとして,市民のシンボルであり憩いの場であるということも加えるように。
4.盛岡城に関する伝承・民俗事例等についても調査を進めておく必要がある。
5.外曲輪(中堀),遠曲輪(外堀)とそれに付随する土塁が残存している箇所について,将来的に保存を図るなどの措置を取った方が良いのではないか。
6.城内については,藩政時代になんらかの施設が存在した場所であるので,建物を残す場合,景観上合致した意匠とするということを考えなくてはならないのではないか。
あらら・・・、編集途中で間違って公開ボタン押しちゃったよぉ。
しようがないなぁ。
続きは、次に。
無駄に長くなる文章を疎ましく思っている諸氏。
慣れなさい。 〜( ̄0 ̄)〜はぁ〜これだもん・・・
■都市整備部公園みどり課の考えていること
盛岡市のHPを見ると、この界隈についてどういう議論が交わされていたのか、かすかだがその経緯をたどることが出来る。
「史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会」と称す委員会がそれだ。
どうやらこのわずか2回、委員会で話し合われたことが今回の策定案の震源地のようだ。
策定委員が何処の馬の骨かは分らない。
分らないから「馬の骨」呼ばわりもしてしまう。(ごめんね)
聞いた話によると、この策定委員なるもの、市が自由に選ぶことが出来るらしい。
しかも、メンバー交代も自在という。
伝聞なので定かではないが、これが本当なら市の意向に沿った人選が自在に出来ることになる。
こんなことがまかり通っているのだろうか?
突っ込みどころ満載だろうが・・・。
とても賢いホワイトカラーがすることとは思えない。
で、それは横に置いておくとして、そこで何が話し合われたのか、というとおおよそ次のような事らしい。
ちなみに報告と協議とあるが、1回目について報告は割愛する。
たいしたこと載ってないし。
第1回目
協議
1.史跡盛岡城の中だけではなく,周辺の景観等についてのありかたも含めた形で計画作りをする必要がある。
2.史跡の活用については,「まちづくり」という観点も併せ持つ形で検討する必要がある。
3.観光という面だけを重視した内容で検討する事の無いようにしてもらいたい。
※番号は便宜的にオラホが付けた。
ここでは、3がキモということか。
というか、地元住民は考慮の対象外なんだね、ふ〜ん。
そういう匂いは感じていたが、そのままだった訳だ。
では2回目を見るとしよう。
第2回目
報告
(主な意見)
1.保存管理計画策定に向けた作業のなかで,史跡周辺の都市計画との調整についても検討する必要がある。
2.明治時代の長岡安平による公園整備について,整備当時の様子が残っている範囲があるか検証する必要がある。
3.石川啄木の作品にゆかりのある植物について,確認をする必要がある。
4.史跡地内に存在する諸課題について,保存管理計画の中で整理していく必要がある。
協議
(主な意見)
1.盛岡城そのものが全国でも数少ない城郭と石垣石材の供給地がセットになっている例であり,人力で城を築いたという無形の遺産を感じることができる場であるということを主要な価値の一つとして加えるべきである。
2.盛岡城の歴史的な価値を構成するものとして,藩政のものだけではなく,近現代(明治時代以降)の歴史的な価値を有するものも加えていくように。
3.盛岡城跡の位置付けとして,市民のシンボルであり憩いの場であるということも加えるように。
4.盛岡城に関する伝承・民俗事例等についても調査を進めておく必要がある。
5.外曲輪(中堀),遠曲輪(外堀)とそれに付随する土塁が残存している箇所について,将来的に保存を図るなどの措置を取った方が良いのではないか。
6.城内については,藩政時代になんらかの施設が存在した場所であるので,建物を残す場合,景観上合致した意匠とするということを考えなくてはならないのではないか。
あらら・・・、編集途中で間違って公開ボタン押しちゃったよぉ。
しようがないなぁ。
続きは、次に。
27
10月
来た!「桜山神社参道の将来像ついて」
泣きが入れば止まらないノーブル佐々木です。
昭和12年から73年の時を経て、今月(平成22年10月)盛岡市は「桜山神社参道の将来像ついて」と題した策定案を発表した。
昨日(10月13日)の内丸第二町内会が主催した説明会は、予想を上回る町内外100名ほどが参加する規模となり、同時に県内在住すべての放送局が取材に来るという注目の場にもなった。
これをネタにしないわけにはイカの○玉。
ということですよ。
■事の経緯
その時配布された資料がこれ→ココ
13ページの資料であるが、紙質が悪いのでスキャンニングでは、プツプツが目立つ。
しかも内容的にアバタに見てもエクボには見えない。
アバタをいちいち説明するのは、メンタル的に負荷が大きいので詳細は資料を参照されたい。
しかし、それではオラホの好感度が下がるので簡単に経緯を説明しよう。
結構人のうわさを気にするタイプ炸裂っ。
【桜山神社界隈のここまでの経緯】
1.昭和12年(1937年)
国がこの界隈を史跡指定する。
2.終戦後
大陸からの引揚者が神社境内にバラックなどを建てて住み始める。これがこの町内の始まり。
3.昭和29年(1954年)
「中の橋・大通り線」の整備に伴い仮移設が始まる。
この通りは、今の東北銀行本店からサンビルまでの通り、つまり「東大通り」のこと。
4.昭和31年(1956年)都市計画が決まる。
この時にこの界隈は将来は緑地(すなわち公園緑地)となることが決まった。
これの意味するところは、地目(土地の主たる用途による区分。不動産登記法では次の二一種類が定められている。)が「緑地」となり、建物の建設はNGになるということ。
簡単にいえば、「現状は仕方ないけど、取り壊したらもう建てちゃだめだよ。」ってこと。
別な見方では、「どいて、て言ったらどいてね!」ってことでもある。
ここまでは資料から、ここからはオラホの伝聞と記憶によるものになる。
5.昭和34年区画整理
ほぼ現在の状態。
この間の説明会で元住民の方の証言によると、この時にお堀周辺の土塁が撤去されたらしい。
町民、取りあえず安堵のため息。
6.昭和44年(45年?)
岩手国体を控え、市街地の景観を改善するという名目で桜山神社からサンビルまでの桟橋(現在は歩道となっている)の店舗が撤去される。
町民、次はオラホか!と震えあがる。
7.平成9年(1997年)
桜山界隈を将来駐車場にする計画が決定(したらしい)。
町民、恐怖に怯えつつも過去30年具体的な市の動きがなかったため静観。
8.平成20年(2008年)4月2日
時節に合わないということで市は上の計画を破棄。
これをマスコミが大々的に報道
町民、いよいよこの地が安住の地となるのか!と舞い上がる。
9.同年(10月だっけ?)←春だった?
市は、報道に動揺し急きょ説明会を開催。
「皆さんと協議して・・・」とか言いつつ、1年間の調査期間を経て何らかの策定案を出すことを明言する。
町民、多少を不安を抱えつつも、期待感が勝りこの言葉を信じることにする。
10.平成22年(2010年)10月1日
「桜山神社参道も将来像ついて」と題した策定案を発表。(というかマスコミが大々的に報道)
勘定所“風”建物とお堀の土塁を何となく再現する、という案と引き換えに、現状を改善する改修工事を制限付きで認可する、というありがたい御沙汰をお示しになる。
町民、期待を裏切られた計画案に度肝を抜かれる。
11.平成22年(2010年)10月13日
内丸第2町内会主催で市の職員を招いて説明会を開く。
町民、想いのたけをぶつける。
今、丁度ここ。
■青天の霹靂
町内会長の川村氏は、説明会終わりの言葉として市の策定案を「青天の霹靂」と形容した。
この言葉は、市の唐突な発表、という意味合いで報道されたが、それは違う。
先に示したように、策定案の発表自体は事前に決まっていたものだからだ。
では、氏は何をもって「青天の霹靂」と表したのか。
それは、事前の協議も連絡もなく一方的に策定案が示されたことを指している。
来るのは知っていたが、まさか寝ている間に耳に水を入れられるなんて。聞いてないよぉ〜。
と、ダチョウ倶楽部なら突っ込んでるところだ、というわけだ。
しかも、この1年半、市と町内は(と言うより市街地全体は)良い関係を築いてきた。
「盛岡市中心市街地活性化基本計画」(→ココ)という名のもとに、これまでにない支援を市から受けてきていたのだ。
これまでの盛岡は、盛南開発という旗印に、市の外辺地域を開発してきた。
これは、市街地の利便性を郊外域にまで拡大する、という効果をここ20年間で実現した。
それは実際、郊外に寝床を構えるオラホも実感してきた。
しかし、それは同時に市街地の経済的地盤沈下を起こす諸刃の剣でもあった。
全国に目を向ければ、シャッター街が問題視されている地域はいくらでもある。
実感はないが、盛岡はまだよい方とされているらしい。
それでも時間の問題なのは明らか。
国がそう言った自治体に補助金を出すという方策を打ち出したのは、一昨年のこと。
開発の遅れていた(つまり市街地がシャッター街になる前に)盛岡市がこれに取り組むことになったのは、むしろ幸運だったのかもしれない。
そしてもう一つ幸運だったのは、この桜山神社界隈が昭和の風情を色濃く残すことになったのも、先に述べた緑地指定による建築・改築規制によるものだったこともある。
■昭和の風情
昭和の風情なるものの定義は定かでないが、安普請(やすぶしん)の雑然とした生活感が丸出しの趣、とオラホは定義しよう。
これは、この町内そのものの形容句だと言える。
20年前、いや10年前まで、これは町内の改善すべき問題であり、覆い隠さねばならない恥部だった。
中央通り側にある、今や巨木となったヒマヤラやシーダは、県庁からこの町内を見えないようにするために植樹した、と噂されるほど景観を害していると言われた時代が長く続いた。(真偽は不明)
それがいつからか、カメラを持った人々が時折出没するようになったころから様相が変わる。
彼らまたは彼女らは、自然美の漂う池の端や歴史を感じさせる釣り鐘堂を撮影するのか、と思いきや2mもない、バケツやボイラー、ガスボンベが置かれている薄暗い路地裏を撮影しているではないか。
ある時など、さんさ踊りの雑踏で外国人が、そんな路地裏にカメラを向けているのを見かけたときがあった。
よほど奇異の面持ちで見ていたのだろう。
オラホに気付いたその白人男性は、こともあろうにウィンクを飛ばしやがった。
「畜生、碧眼パツキンはウィンクが似合うぜ!」
と不覚にも惚れてしまいそうになってしまったじゃないか。
10年20年は流行遅れと揶揄されるが、50年以上も経つと「レトロ」と称されることに気付いた瞬間だったかもしれない。
気がつくと、全国に昭和風情を謳い文句にした店や街並みがいろいろなメディアで紹介されている。
ある日学校に、父親のラッパのジーンズを履いてったら人気者になっちゃったぁ〜、みたいな感じなのかも。(それはナイナイ)
くぅ〜、1日でまとめられなかったか。
全体の半分も行ってないかも。
よし、明日も打ち込むぞ、ということで、続く。
昭和12年から73年の時を経て、今月(平成22年10月)盛岡市は「桜山神社参道の将来像ついて」と題した策定案を発表した。
昨日(10月13日)の内丸第二町内会が主催した説明会は、予想を上回る町内外100名ほどが参加する規模となり、同時に県内在住すべての放送局が取材に来るという注目の場にもなった。
これをネタにしないわけにはイカの○玉。
ということですよ。
■事の経緯
その時配布された資料がこれ→ココ
13ページの資料であるが、紙質が悪いのでスキャンニングでは、プツプツが目立つ。
しかも内容的にアバタに見てもエクボには見えない。
アバタをいちいち説明するのは、メンタル的に負荷が大きいので詳細は資料を参照されたい。
しかし、それではオラホの好感度が下がるので簡単に経緯を説明しよう。
結構人のうわさを気にするタイプ炸裂っ。
【桜山神社界隈のここまでの経緯】
1.昭和12年(1937年)
国がこの界隈を史跡指定する。
2.終戦後
大陸からの引揚者が神社境内にバラックなどを建てて住み始める。これがこの町内の始まり。
3.昭和29年(1954年)
「中の橋・大通り線」の整備に伴い仮移設が始まる。
この通りは、今の東北銀行本店からサンビルまでの通り、つまり「東大通り」のこと。
4.昭和31年(1956年)都市計画が決まる。
この時にこの界隈は将来は緑地(すなわち公園緑地)となることが決まった。
これの意味するところは、地目(土地の主たる用途による区分。不動産登記法では次の二一種類が定められている。)が「緑地」となり、建物の建設はNGになるということ。
簡単にいえば、「現状は仕方ないけど、取り壊したらもう建てちゃだめだよ。」ってこと。
別な見方では、「どいて、て言ったらどいてね!」ってことでもある。
ここまでは資料から、ここからはオラホの伝聞と記憶によるものになる。
5.昭和34年区画整理
ほぼ現在の状態。
この間の説明会で元住民の方の証言によると、この時にお堀周辺の土塁が撤去されたらしい。
町民、取りあえず安堵のため息。
6.昭和44年(45年?)
岩手国体を控え、市街地の景観を改善するという名目で桜山神社からサンビルまでの桟橋(現在は歩道となっている)の店舗が撤去される。
町民、次はオラホか!と震えあがる。
7.平成9年(1997年)
桜山界隈を将来駐車場にする計画が決定(したらしい)。
町民、恐怖に怯えつつも過去30年具体的な市の動きがなかったため静観。
8.平成20年(2008年)4月2日
時節に合わないということで市は上の計画を破棄。
これをマスコミが大々的に報道
町民、いよいよこの地が安住の地となるのか!と舞い上がる。
9.同年(10月だっけ?)←春だった?
市は、報道に動揺し急きょ説明会を開催。
「皆さんと協議して・・・」とか言いつつ、1年間の調査期間を経て何らかの策定案を出すことを明言する。
町民、多少を不安を抱えつつも、期待感が勝りこの言葉を信じることにする。
10.平成22年(2010年)10月1日
「桜山神社参道も将来像ついて」と題した策定案を発表。(というかマスコミが大々的に報道)
勘定所“風”建物とお堀の土塁を何となく再現する、という案と引き換えに、現状を改善する改修工事を制限付きで認可する、というありがたい御沙汰をお示しになる。
町民、期待を裏切られた計画案に度肝を抜かれる。
11.平成22年(2010年)10月13日
内丸第2町内会主催で市の職員を招いて説明会を開く。
町民、想いのたけをぶつける。
今、丁度ここ。
■青天の霹靂
町内会長の川村氏は、説明会終わりの言葉として市の策定案を「青天の霹靂」と形容した。
この言葉は、市の唐突な発表、という意味合いで報道されたが、それは違う。
先に示したように、策定案の発表自体は事前に決まっていたものだからだ。
では、氏は何をもって「青天の霹靂」と表したのか。
それは、事前の協議も連絡もなく一方的に策定案が示されたことを指している。
来るのは知っていたが、まさか寝ている間に耳に水を入れられるなんて。聞いてないよぉ〜。
と、ダチョウ倶楽部なら突っ込んでるところだ、というわけだ。
しかも、この1年半、市と町内は(と言うより市街地全体は)良い関係を築いてきた。
「盛岡市中心市街地活性化基本計画」(→ココ)という名のもとに、これまでにない支援を市から受けてきていたのだ。
これまでの盛岡は、盛南開発という旗印に、市の外辺地域を開発してきた。
これは、市街地の利便性を郊外域にまで拡大する、という効果をここ20年間で実現した。
それは実際、郊外に寝床を構えるオラホも実感してきた。
しかし、それは同時に市街地の経済的地盤沈下を起こす諸刃の剣でもあった。
全国に目を向ければ、シャッター街が問題視されている地域はいくらでもある。
実感はないが、盛岡はまだよい方とされているらしい。
それでも時間の問題なのは明らか。
国がそう言った自治体に補助金を出すという方策を打ち出したのは、一昨年のこと。
開発の遅れていた(つまり市街地がシャッター街になる前に)盛岡市がこれに取り組むことになったのは、むしろ幸運だったのかもしれない。
そしてもう一つ幸運だったのは、この桜山神社界隈が昭和の風情を色濃く残すことになったのも、先に述べた緑地指定による建築・改築規制によるものだったこともある。
■昭和の風情
昭和の風情なるものの定義は定かでないが、安普請(やすぶしん)の雑然とした生活感が丸出しの趣、とオラホは定義しよう。
これは、この町内そのものの形容句だと言える。
20年前、いや10年前まで、これは町内の改善すべき問題であり、覆い隠さねばならない恥部だった。
中央通り側にある、今や巨木となったヒマヤラやシーダは、県庁からこの町内を見えないようにするために植樹した、と噂されるほど景観を害していると言われた時代が長く続いた。(真偽は不明)
それがいつからか、カメラを持った人々が時折出没するようになったころから様相が変わる。
彼らまたは彼女らは、自然美の漂う池の端や歴史を感じさせる釣り鐘堂を撮影するのか、と思いきや2mもない、バケツやボイラー、ガスボンベが置かれている薄暗い路地裏を撮影しているではないか。
ある時など、さんさ踊りの雑踏で外国人が、そんな路地裏にカメラを向けているのを見かけたときがあった。
よほど奇異の面持ちで見ていたのだろう。
オラホに気付いたその白人男性は、こともあろうにウィンクを飛ばしやがった。
「畜生、碧眼パツキンはウィンクが似合うぜ!」
と不覚にも惚れてしまいそうになってしまったじゃないか。
10年20年は流行遅れと揶揄されるが、50年以上も経つと「レトロ」と称されることに気付いた瞬間だったかもしれない。
気がつくと、全国に昭和風情を謳い文句にした店や街並みがいろいろなメディアで紹介されている。
ある日学校に、父親のラッパのジーンズを履いてったら人気者になっちゃったぁ〜、みたいな感じなのかも。(それはナイナイ)
くぅ〜、1日でまとめられなかったか。
全体の半分も行ってないかも。
よし、明日も打ち込むぞ、ということで、続く。
26
10月
先日、うちの娘が「あ〜っ!靖のおじちゃんだ!?」
「ママーっ!靖のおじちゃんがテレビに出てる!!!」
私が仕事から帰ってくると、娘とカミサンが教えてくれました。
あっ。靖のおじちゃんとは私の友人で盛岡の内丸、桜山神社前のノーブル美容室のオーナーです。
写真の真ん中の金メダリストが靖っさんです。
共に美容組合の青年部会長を務め、何でも話せる同士
その同士がテレビに出てたなんて聞いてなかったなぁ!なんて思っていたら
靖っさんが出ていたのは夕方のニュースで涙ながらに、地域の商店街や住民を桜山神社参道周辺の開発から守るため訴える姿だった!
「おじちゃん、泣いてたね!なんで泣いていたの?」
娘に説明すると「どうして市民の暮らしを守る為に税金を集めて仕事しているのに、みんなをいじめるの?」
ん〜〜!それ以上は説明につまる自分がもどかしかった!
このいきさつなど知らない方のために、靖っさんのブログから抜粋いたします。
皆さんはどうお考えでしょうか?
「ママーっ!靖のおじちゃんがテレビに出てる!!!」
私が仕事から帰ってくると、娘とカミサンが教えてくれました。
あっ。靖のおじちゃんとは私の友人で盛岡の内丸、桜山神社前のノーブル美容室のオーナーです。
写真の真ん中の金メダリストが靖っさんです。
共に美容組合の青年部会長を務め、何でも話せる同士
その同士がテレビに出てたなんて聞いてなかったなぁ!なんて思っていたら
靖っさんが出ていたのは夕方のニュースで涙ながらに、地域の商店街や住民を桜山神社参道周辺の開発から守るため訴える姿だった!
「おじちゃん、泣いてたね!なんで泣いていたの?」
娘に説明すると「どうして市民の暮らしを守る為に税金を集めて仕事しているのに、みんなをいじめるの?」
ん〜〜!それ以上は説明につまる自分がもどかしかった!
このいきさつなど知らない方のために、靖っさんのブログから抜粋いたします。
皆さんはどうお考えでしょうか?
26
10月
25
10月
久々のあゆみです。
今日、先生が盛岡へ仕事に出かけたあと
文化祭の代休で休みだった息子と掃除をしていました!
すると玄関ですみませ〜ん!と声がするので見に行くと
おじいさんが立っていました!
はい?と声をかけると「外にある自転車もらえねぇべか?」
えっ!?
それは息子や娘が小さい時に乗っていた、子ども用の自転車でした!
もう今は使っておらず雨ざらしになっていたので
「使えるかわかりませんよ?」と言ったら
「あ〜ん!大丈夫だ〜!」って
いいですよ!と言うと嬉しそうに去っていきました!
…!?
えーーーっ!?
何だったの?
なんだか笑いが込み上げてきました!
こんなことってあるんですね!(笑)
今日、先生が盛岡へ仕事に出かけたあと
文化祭の代休で休みだった息子と掃除をしていました!
すると玄関ですみませ〜ん!と声がするので見に行くと
おじいさんが立っていました!
はい?と声をかけると「外にある自転車もらえねぇべか?」
えっ!?
それは息子や娘が小さい時に乗っていた、子ども用の自転車でした!
もう今は使っておらず雨ざらしになっていたので
「使えるかわかりませんよ?」と言ったら
「あ〜ん!大丈夫だ〜!」って
いいですよ!と言うと嬉しそうに去っていきました!
…!?
えーーーっ!?
何だったの?
なんだか笑いが込み上げてきました!
こんなことってあるんですね!(笑)
22
10月
昨日、事件は起きました。
帰宅後、料理をしようとキッチンに立ち
コンロをひねっても火がつかず
困っていました。
ダンナさんが帰ってきたら
見てもらおうと思いましたが
グリルはつくので、電池でもガスでもなく
原因は何だろう?
恐る恐る傾けて裏をみるとコンロにつながる線が切れていました!
ん?
脳裏にあるトラウマが
以前、電話がかからず故障かと買い換えたにもかかわらず
かからないため、NTTを呼んでビックリ!!
電話線をねずみが噛み切っていたのです。
またもや、やられた〜〜!
おかげで急遽、ナベにしましたが、
も〜〜〜っ! ねずみのヤツ〜〜許せない〜〜!
帰宅後、料理をしようとキッチンに立ち
コンロをひねっても火がつかず
困っていました。
ダンナさんが帰ってきたら
見てもらおうと思いましたが
グリルはつくので、電池でもガスでもなく
原因は何だろう?
恐る恐る傾けて裏をみるとコンロにつながる線が切れていました!
ん?
脳裏にあるトラウマが
以前、電話がかからず故障かと買い換えたにもかかわらず
かからないため、NTTを呼んでビックリ!!
電話線をねずみが噛み切っていたのです。
またもや、やられた〜〜!
おかげで急遽、ナベにしましたが、
も〜〜〜っ! ねずみのヤツ〜〜許せない〜〜!
21
10月
18
10月
今日、北上さくらホールにて北海道東北ブロック青年部会議が開催され出席して来ました
前日から北海道の宮道さんと福島の池田さん前泊でいらっしゃったので
ちょっと面白い店をと諏訪町アーケード内にある、レトロ酒バーゴーゴー亭に行き昭和レトロにタイムスリップ
飲みニケーションで組合活動について熱く語り合い
今日は担当県の福島から岩手へ担当が引き継がれ
今年度の活動方針
エコプロジェクトや技術講習など活動を話し合い
各道県へ内容を持ち帰ることとなった!
今年度は消費者ニーズにもっと答えていくため消費者アンケートの実施
新規組合員の拡大
ブロックヘアーショーの実施などが決定した!
政界では事業仕分けや規制緩和など実施され大事なことではあるが、美容業界にとってはお客様の安心安全、技術や意識の向上など
免許制度を含めた改革と保守が必要と熱く熱く語り合いました!
17
10月
11
10月
8
10月
8
10月
7
10月
6
10月
5
10月